戦え!婚活戦士

26歳ゆるオタ女子が婚活するブログ

私のおじいちゃんのはなし

 今日は私のおじいちゃんの四十九日でした。

 なので、今日は私のおじいちゃんの話をしたいと思います。個人的な話になりますが、どうぞ最後までお付き合いください。

 

 私のおじいちゃんは立派な人でした。背が高くて、白い髪の毛がふさふさしていて、細くてがっしりした体でトラクターや田植え機を乗り回し、農業一筋で人生を生きてきた人でした。

 

 いくつかエピソードを紹介したいと思います。

 

 私が高校生になり、通学に電車を利用するようになると、おじいちゃんが駅までの送迎をかって出てくれました。連絡を取り合うために携帯電話を買った後の、ある日のこと。

 

「おじいちゃん、何してるの?」

「これか。これはな、携帯電話を落とさないように、ストラップとズボンのひもをつないでるんだ」

「・・・・・・おじいちゃん、それは変だよ」

「何でだ。これなら絶対になくさないぞ」

 

 おじいちゃんの考案したファッションは、電話をとるときにズボンのひもが締まってお腹が苦しいという理由から、あえなく没になりました。

 

 駅まで送迎してもらうときは、農作業用の軽トラで来てくれました。土に汚れている軽トラはいかにも田舎っぽくて少し恥ずかしかったけれど、それを高齢ながら颯爽と乗り回すおじいちゃんはとてもかっこよかったです。

 そんな駅まで送迎してもらっていたときのこと。信号に引っかかると、決まっておじいちゃんの眉間に皺が寄りました。

 

「おじいちゃん、なに怒ってるの?」

「ここはおらの道路だぞ。おらの道路に勝手に信号立てやがって!」

「・・・・・・おじいちゃん、ここ、県道だよ」

 

 どう考えてもおじいちゃんの道路ではないです。

 気が短く、こうと思いこんだら頑固なところもありましたが、そんなところもおじいちゃんらしくて、私は大好きでした。

 

 競艇が好きだったおじいちゃんは、よくボートレース場に出かけていました。俺が買う舟券はいつも当たる、この前なんて当てる買い方を教えてくれって頼まれたんだ、と自慢していました。

 けれども、ボートレース場から帰ってきたおじいちゃんは大体、

 

「今日も負けた。いいんだ、あんなのは負けて当然なんだから」

「俺は金を稼ぎに競艇やってるんじゃないから。競艇は息抜きだから」

「そもそも当たるような仕組みじゃないんだ。当たるわけがない」

 

 そう言いつつ悔しそうにしていました。時たま勝つと、家族におみやげを買ってきてくれて、みんなでお礼を言うとうれしそうにしていました。

 

 おじいちゃんが亡くなって、とても悲しかった。けれども、ふしぎと寂しくはなかった。

 それは、私がたくさんのものをおじいちゃんからもらったからだと思います。

 

 小学生のとき、当時の私の腰まである大きなクリスマスブーツをくれたこと。うれしくてうれしくて、ブーツの中に入って「見てみて! 中に入れるよ!」と大はしゃぎしました。

 中学生になったとき、通学用にぴかぴかのかっこいい自転車を買ってくれたこと。晴れの日も、雨の日も、楽しい日も、悲しい日も、3年間ずっとその自転車に乗り続けました。

 高校生のとき、農作業中でも休憩中でも電話をすればいつでも迎えにきてくれたこと。パチンコも好きだったおじいちゃん、「今、ちょうど出ているところだったんだけどなあ」なんて言いながらもすぐに迎えに来てくれました。

 大学生のとき、下宿から実家に帰るたびに「おお、帰ってきたのか」とうれしそうに出迎えてくれたこと。「元気か」と聞かれて「元気だよ。おじいちゃんは?」と言うと「おらはもうだめだあ」とふざけて言っていました。

 

 最期になると思っていなかった今年のお正月、いとこが成人を迎え、振袖姿を見せに来てくれたときのことです。その頃には、お気に入りのマッサージチェアから起きあがることもできなくなっていました。

 いとこの振袖姿をうれしそうに眺め、「おらの孫は美人だなあ」と言うおじいちゃんに、「そうだよ、だから長生きしなくちゃだめだよ。私やいとこが結婚するまで生きてなくちゃだめだよ」と言うと、うんうんとうなづいていました。

 

 おじいちゃんにウェディングドレス姿を直接見せてあげることはもうできないけれど、いつか結婚式をあげたら、天国から「おらの孫はやっぱり美人だなあ」と、きっと褒めてくれると思います。

 

 おじいちゃん、ありがとう。

 どうか天国でゆっくり休んでね。